歩きながらスマホを見るのって、そんなにダメなこと?
そう思っていたのは、私も同じでした。
通勤ラッシュの時間帯、私は最寄りの駅前で友人への返信を急ぎつつ、片手にスマホを持って歩いていました。
道の先をしっかり確認していたつもりで、ほんの数メートル先の段差にも気づかないまま歩いていたのです。
ドンッという鈍い衝撃とともに、体の小さなご年配の女性と肩がぶつかり、彼女はそのままバランスを崩して倒れてしまいました。
周囲には驚きの表情を浮かべた通行人が何人もいて、その場に一瞬で緊張が走りました。
私はあわてて駆け寄り、大丈夫ですか!?と声をかけましたが、女性は地面に手をついたまま動けない様子。
幸い命に別状はなかったものの、その場には救急車が呼ばれ、私自身も警察に事情を説明することになりました。
あの日の罪悪感と後悔は、今でも脳裏に焼き付いています。
数秒の油断が、取り返しのつかない事態を招くということを、私は身をもって痛感しました。
あの瞬間がなければ、今も私はちょっとだけなら平気と思い続けていたかもしれません。
この記事では、ほんの一瞬で相手を傷つけてしまう。
歩きスマホの実体験を紹介し、その危険をなくすための方策を考えていきます。
悔想の衝突事故!歩きスマホで人を怪我させた実体験
2023年12月、冷たい風が頬を打つ冬の夕暮れ時、東京都板橋区の志村坂上駅前での出来事でした。
その日は年末の買い出しで街がにぎわい、人通りもひときわ多く、交差点周辺は混雑していました。
私は仕事終わりで疲れていたこともあり、駅に向かう途中でスマホに届いたLINEの通知を確認しようと、無意識に画面を覗き込みながら歩道を進んでいました。
ほんの数秒のこと。
ふと顔を上げたその瞬間、目前にいたご高齢の女性との距離が縮まりすぎていることに気づき、慌てて足を止めようとしたものの間に合わず、肩と肩が激しくぶつかりました。
女性は軽傷で一安心
女性はバランスを崩し、そのまま後方に倒れてしまいました。
周囲には驚きの声が上がり、たまたま現場近くにいた警察官がすぐに駆け寄ってくれました。
私は心臓がバクバクと脈打つ中、必死に大丈夫ですか?と声をかけながら女性の様子をうかがいましたが、彼女は地面に腰をついたまま顔をしかめ、痛みを訴えていました。
その場で救急車が要請され、彼女はすぐに病院へ搬送されることに。
幸い診断の結果は打撲程度で、大きな怪我には至りませんでしたが、私の胸には言いようのない罪悪感が残りました。
後日、警察を通じてご本人と連絡を取り、菓子折りを持って自宅へ謝罪に伺いました。
女性は気にしなくて大丈夫よと笑ってくださいましたが、その優しさが逆に胸に刺さったのを覚えています。
たった一瞬のながら行動が、人を転倒させ、病院送りにしてしまう。
もしあのとき彼女が頭を強く打っていたら、骨折していたら、考えるだけで震えが止まりません。
この体験が、私にとって歩きスマホをやめる決定的なきっかけになりました。
後悔からの教訓
注意力はスマホが奪っていた
本来は人や周囲の状況に向けられるはずの意識が、常に画面の情報に引き寄せられていたことに気づきました。
LINEの通知、SNSの更新、メールの確認、気づけば私は現実世界よりもスマホの中を優先していたのです。
数秒の通知確認が人を傷つける
ちょっと見るだけの油断が、重大な事故を引き起こすこともある。
たった5秒、たった1行のメッセージ確認が、人の体と心に傷を残すとは、当事者になるまで本当の意味で理解できませんでした。
ながら行動は事故の前触れ
歩きながら、聞きながら、考えながら、一見すると効率的に見えるながら行動ですが、集中力は必ず分散します。
その結果、咄嗟の判断が鈍り、事故の可能性が飛躍的に高まる。私がそれを証明してしまったのです。
特に高齢者や子どもといった交通弱者が巻き込まれる割合が非常に高いことは、現代の都市生活の深刻な課題でもあります。
加害者側は、ちょっと見てただけ、急いでたからなどと言い訳するかもしれませんが、被害を受けた側にはそんな理由は通用しません。
事故の発生場所
さらに注目すべきは、事故の発生場所の多くが、駅周辺や商業施設前といった、日常生活で人々が集中しやすいエリアで起きているという点です。
私のような加害者予備軍になってしまっている人は、実は思っている以上に多いのかもしれません。
一見スマートに見えるながら歩きが、実際には誰かを傷つける凶器になりうる。
今一度、私たちはこの現実を直視する必要があります。
見落としがちな直視点!イヤホン+スマホ=五感ゼロ
歩きスマホは視界が狭まると思っていませんか?実はそれだけではないんです。
私が事故を起こしたとき、耳にはノイズキャンセリング機能付きのAirPods Proが装着されていました。
音楽を流していたわけではありませんが、周囲の音を遮断する機能はしっかり働いていて、世界が無音に感じるほど静かだったのを覚えています。
周囲が見えず音も聞こえない
つまり、見えないだけじゃなく聞こえない状態でもあったわけです。
目の前を行き交う人々の足音も、後ろから自転車で近づいてきた学生のベルの音も、信号機の音声案内すら聞こえませんでした。
クラクションも、声掛けも、何も届かない。
視覚と聴覚の両方をふさいだ状態で歩くというのは、まるで目隠し耳栓をして横断歩道を渡るようなものです。
危険に気ずいていない
さらに危険なのは、本人がそれに気づいていないこと。
音楽に集中しているときや、SNSに夢中になっているとき、人間の脳は周囲の情報を意図的に遮断する傾向があります。
脳の認知処理の負荷が増すと、五感の感度は自然と鈍くなるのです。
この状態で歩いていれば、事故のリスクが高まるのは当然です。
一歩踏み出すたびに、目の前の誰かに衝突する可能性があり、あるいは段差につまずいて自ら転倒することだってあります。
音がない世界の中を画面だけを見て歩く危うさ。
それを思い知った私は、今では移動中にイヤホンをつけること自体を避けるようになりました。
自分は大丈夫が一番危ない心理の落とし穴
人が多いときは見ないようにしてるし、注意してるから平気、そう自分に言い聞かせながら、スマホを片手に歩くことが日常になっていました。
しかし現実には、見ているつもりであって、見えていなかったのです。
視野の端に人影が映っても、集中しているのは画面の中。
咄嗟の動きや危険信号を見落とし、気づけば他人との距離感も狂っていました。
正常性バイアス
こうした油断の根本には、自分だけはうまくやれるという過信があります。
心理学的には、正常性バイアスと呼ばれるそうです。
自分は特別、他人より注意深いと思い込み、危険を過小評価してしまう認知バイアスの一種です。
このバイアスは災害時の避難遅れや事故回避の失敗など、日常のあらゆる場面で見られる心理的メカニズム。
自分には関係ない、私は気をつけているから大丈夫という思い込みが、実は一番危ない、そのことを私は身をもって学びました。
本当に見えている状態とは何か。安全とはどういうことか。
歩きスマホが招く危険性を真剣に考えるには、まずこの自分だけは平気という意識を手放すことが必要なのです。
体験から学んだ防止策!私が実践している3つのルール
あの日の事故以来、私は次の3つの行動を徹底しています。
通知オフ時間を設ける
通勤時間・移動中はスマホの通知を完全にオフに設定しています。
LINEやSNSの通知音が鳴るだけで、つい気になってしまうのが人間の心理。
その誘惑を断ち切るには、物理的に通知が来ない状態を作ることが最も効果的でした。
最近ではスマホの集中モードや運転モードなどを活用し、時間帯や場所に応じて自動で通知をブロックする仕組みを取り入れています。
駅構内・歩道ではスマホをバッグに収納
スマホを手に持っているだけで、無意識に画面を点けてしまうクセがあることに気づいた私は、物理的に視界から遠ざける方法を選びました。
バッグの中、できればファスナー付きのポケットに収納することで、必要以上に手を伸ばす機会が減り、集中して歩くことができるようになりました。
特に駅構内は人の流れが複雑なため、一瞬の判断ミスが大事故に繋がる場所です。
確認が必要なときは必ず立ち止まる
緊急の連絡が来たとしても、歩きながら確認は絶対にしないと心に決めました。
立ち止まる場所は、人の流れを妨げない壁際や柱の近くを選びます。
このルールを守るようになってから、心にも余裕が生まれ、メッセージの誤送信や誤読も減りました。
スマホを見るときは、歩みも思考も止めてスマホだけに集中する、そんな単純なことが安全の第一歩になるのです。
どれも地味で簡単な行動ですが、その積み重ねが事故を防ぎ、自分と周囲の安全を守ることにつながります。
小さな行動が、大きな事故を防ぐ、そこまでしなくてもと思うかもしれませんが、あの日の衝突音を思い出すたびに、もう二度と繰り返さないと誓っています。
便利さより安全が優先されるべき理由
現代はスマホが必需品で確認しながら歩くのは仕方ない。その意見も理解できます。
仕事の連絡、地図の確認、緊急の返信、どれも現代社会では欠かせない行動に思えます。
しかし、その利便性の代償として、人を傷つけてしまったら、それはもう取り返しがつきません。
どれだけ便利でも、誰かの健康や命を脅かすような行為は、本末転倒と言えるでしょう。
ほんの少し立ち止まる
スマホを見るのは、ほんの少し立ち止まるだけで済む話です。
通行人の流れが落ち着いたタイミングで、端に寄って確認する。
それだけで、あなた自身も周囲の人も、ずっと安全な環境を保てるのです。
たった10秒。あなたにとっては何気ない行動でも、その10秒が誰かの未来を左右するかもしれません。
安全を後回しにしてしまうその習慣が、思わぬトラブルや事故を招くのです。
たまたま今日は何も起こらなかった、それは偶然にすぎません。
毎日の積み重ねが、大きな違いを生む。だからこそ、今この瞬間から意識を変えることが必要です。
まとめ
歩きスマホをしないという選択は、あなたの命も、大切な誰かの命も守ることにつながります。
私は一度、過ちを犯しました。あの瞬間、相手の痛みと周囲の視線に、深く胸を締めつけられました。
その日を境に、私は自分の行動を見直すことを決意し、小さな習慣から少しずつ変えていく努力を続けています。
最初は意識するのが難しかったけれど、今では立ち止まって確認するという行為が、自分自身にとっても大切な安心の時間になりました。
それは誰かのためだけでなく、自分のためでもあると気づいたのです。
さあ、次にスマホの通知が来たとき、あなたはどうしますか?一歩立ち止まるだけで、その後の人生が変わるかもしれません。
急がないでください。そのメッセージは、数秒後でも遅くはありません。
むしろ、あなたが安全な場所で確認したその選択が、未来の安心や後悔のなさへとつながっていきます。
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